サイト運営者として(再掲)

 ほとんど予測されたことですが、またも、「フレーム」の現象が「コメント欄」で起きています。この現象についての当サイトの方針は、12月2日の記事で書いたとおりです。
http://d.hatena.ne.jp/NakamuraTetsuji/20051202

 おそらく、その記事をご覧になっていらっしゃらない方も多いのでしょう。再掲することといたしました。また、そのときにコメントをいただいた方のご意見を、コメントの例として引用させていただきます。


【12月2日ブログ記事本文】

11月25日と26日の当ブログの記事に関するコメントで、catoさんの表現を借りるならば、「読む人を不快にする」文章が続いています。いわゆる「フレーム」の現象です。

私は、10年前のパソコン通信の時代から、ネットでの言論活動をはじめました。おそらく、このサイトをご覧になっている方の中でも、私よりも長期間ネット世界の言論を見てこられた方は、そんなには多くないと思います。

その頃から、実感してきたことは、ネットでの文章は人を傷つけやすいということ、また、人を傷つけやすい文章を書きやすいということです。このサイトにおいても、読み手が不快になると思われる書き込みが続きました。私の本意ではありませんが、2つの署名に対して、このサイトでは初めて書き込みを凍結いたしました。

このブログにおいて、私は、「表現者・作者」であると共に、「サイトの運営者」でもあります。サイト運営者として、第一に考えなくてはならないことは、「書き込みをしないが読んでいる多くの人たち」のためのサイトを作ることです。



パソコン通信の時代、「書き込みをしないが読んでいる多くの人たち」は、「ROM」(リード・オンリー・メンバー)と呼ばれました。フォーラムでは、ROMに配慮する書き方が求められました。

私がメインに書き込みをしていたのは、ニフティサーブ(現ニフティ)のFNETD(エフネッドディー:ネットワークデモクラシー研究会フォーラム)でした。このフォーラムで学んだことが、今日の私の表現を作っていると思います。



なぜ、1999年に私がメールマガジン(メルマガ)を発行し始めたのかと言えば、ニフティでの経験から、「読み手にとって、表現者を限るメディアが必要だ」と感じていたからです。

パソコン通信のフォーラムは「多対多」のコミュニケーションなのですが、必ずしも、書き手が「読み手」に配慮をしてない。むしろ、「読み手」に好ましいのは、「一対多」のメディアがたくさん生まれることなのではないかと考えたからでした。

メルマガは、まさに一対多のメディアとして、最適なものだと思いました。



政治問題は、特にフレームが起こりやすいテーマです。知識レベルの違い、また、志向の違いがダイレクトに対立という形に表れやすい。

フォーラムでの書き込みに限界を感じていた私は、メルマガを発行することで、自分自身の言論活動の場を求めたのでした。



その結果、メルマガで書いている内容が評価され、2000年に民主党奈良県第2区の候補者に推薦されたのは、読者の皆様がご存知の通りです。



私は、ブログを始めるに当たり、実は、「コメント欄」については、基本的にはクローズでやるべきと考えていました。それは、「読み手」のことを考えると、政治問題を扱う自分のサイトを「多対多」の場とするにはまだ時期尚早なのではないかと考えたからでした。

ただ、一方で、インターネットのメディアとしての成熟度合いを検証したい気持ちもありました。そこで、初めからコメント欄をクローズにするのではなく、1ヶ月の期間を区切って、試行的にオープンにしていたのでした。

1ヶ月の試行期間の後、「読み手」の視点から見て、コメント欄の記述が、私が書く本文の記事を深めるものが過半を占めているかどうかを基準にしようと考えていました。



当初、12月1日にクローズにするつもりだったので、1ヶ月たって、思った通りネットの文化はまだ未成熟であると実感したからでした。

ネット上であろうと、リアルな場であろうと、言論の場である以上、大人として表現の成熟が求められます。書いている本人は、感情的になっていないと思っても、他人が見れば感情的になっていると受け取られることは、よくあります。

結局、コメント欄自体をクローズにするのではなく、特定の署名による書き込みを凍結する措置にしたのは、書き込み自体を残すことで、書き込みをする他の方々に「他山の石」にしていただこうと考えたからでした。また、この措置ならば、「凍結」措置自体に対する私への批判も書いていただける余地も残すことになります。



このようなサイト運営については、それこそニフティのフォーラムの時代から議論されてきた古くて新しい問題があります。私は、結局は、書き手それぞれがどこまで相手・読み手を配慮した書き方ができるかどうかだと思います。

しかし、それができないという現状では、サイト運営者の側で、インターネットでの情報提供については、情報の選別をしなくてはいけないと感じています。

本当に残念なことです。


【コメント例】

# 田中博美 『
このような形でコメント欄に書かせてもらうのは中村さんだけでなく他の人にも読んでもらいたいという思いがあるからです。

サイト運営で、ニフティのフォーラム時代から、議論されてきたことですが、それ以前には、あまり議論されることはありませんでした。私はニフティ以前のASCIInet(PCS)からネットにアクセスしてますが、それは、議論する必要の無いことだったからです。ニフティ以前はネットの人口自体が少なかったため(私のいる滋賀県で数十人、京都府南部でも200人程度)、読んで情報提供を受けることが難しく、ROMがいなかったからです。

インターネットにしても元々はサーバ管理者しかアクセスしていない頃があり、その頃は、実名+所属を名乗るのが礼儀でした。当時はフレームなんてことは考えられませんでしたね。

過去を懐かしがっても仕方が無いのですが、過去の議論の経緯を知らない・知ろうとしないことに大きな問題があると思います。2chで言われている匿名を擁護する理論なんてfj(NetNews)を追い出された人達が苦し紛れに理論武装したに過ぎません。

これはASCII-PCSで言われていたことなのですが、議論をするには「流れ」があります。一方的に自己主張するのではなく議論の場の流れを自分で制御するべきですね。中村さんの言われる「読み手を意識する」ということを一歩だけでも具体的に言わせてもらいました。

#議論の場で流れを作るのは結構面白いのですよ(^^;。』

# cato 『
 大先輩をまえに腰が引けますが。私はついこの間から入ったような者です。まあ、一瞬だけMSXでリンクスとかやっていましたが。
 処置の件、手堅いというか納得できる者ではありますか、幾分残念です。
 件のお二方も第三者が見た場合の事を考えていただければ、と思っていた矢先でしたので。
 ズナークさんに関しては、普通に話している分にはいい人なんだな、と25日分のコメントの下の方で思いました。
 私はといえば、田舎の農家の総領息子として育ったのでいろんな意味で自分の些細な行動が廻りに及ぼす影響(というほどのことでもないですが)を与えるかを学んでいたので。
 とはいえ、(顔見知りを意識しないという意味で)そういった枷の外しやすこの世界は、良くも悪くも面白い場所なのだと思います。
 凍結されてしまったお二方には、ここでの凍結が解かれる日が来るかは分かりませんが、この件を良い教訓にして、他の場でも読み手に優しい主張をしていただく事を期待します。
 なんというか、説教くさくてすみません。』