労働者のための政権を作るために
昨晩、懇意にしていた労働組合の幹部から「申し訳ないが、あなたには失望しました。あなたに期待して動き回ったわが組合員の無償の汗を思い浮かべたことがありますか?残念です。」というメールをいただきました。
言葉もなく、「申し訳ございません。中村哲治」と一言返すのがやっとでした。
そこで、この時点で、労働組合に対して私がどのように考えているのか、まとまった記述をしておく必要があると思いました。だからツイッターではなくブログ記事にすることにしました。今日の記事は長文になります。
私の今までの選挙は労働組合の皆様の御努力に支えられてきました。12年前の衆議院選挙に立候補した時も、どこの馬の骨か分からない私を手弁当で支えて下さったのは、労働組合の皆様でした。
以来、労働組合の皆様に選挙態勢を組んでいただく選挙を重ねてきました。労働組合の皆様の御支援なしに、私は今まで政治活動を続けては来られませんでした。
私は奈良では前田武志参議院議員(前国交相)に師事をし「保守系」と見られる出自をしています。しかし、もともと今の時代では「保守」や「革新」と色分けするのがナンセンスであるという考え方で政治に取り組んできました。
読者の皆様から要望があれば別の機会に詳しく21世紀の経済的な構造について書きますが、一言で言えば、今の時代は、「労働者が可処分所得と可処分時間を増やして豊かな生活を享受できなければ、経済成長が成り立たない時代」に入っています。
だから、投資家側の思想や使用者側の思想に立つことのない、「労働者のための政権を作る」政党が、自民党の反対側にもう一つなければ、日本の経済は正常に回っていきません。
一人ひとりの労働者、働く者が尊重されて、初めて国が成り立つ。
当たり前のことなのですが、そのことを政治家が正面からハッキリと発言することはあまりないと思います。
以上のようなことを言うと主に中小企業の関係の方から「連合加盟の労働組合は大企業ばかりなので、使用者側に立っているのではないか」という反論もいただきます。確かに、大きな企業の大きな組合が多いので、意思決定に時間がかかり、急な方針転換はできにくい部分はあります。
しかし、時代時代に応じて、連合加盟の労働組合も大きく変わってこられました。
特に変わったのは、非正規労働者への対応です。労働組合は労働組合員からの組合費で運営されている互助組織です。基本は構成員の利益になること以外はやれないし、やるべきでもありません。
だから、私が初当選した2000年頃、正社員で組織されている連合加盟の労働組合では、非正規労働者への対応はあまり芳しいものではありませんでした。
当時、私が「これからはパートや契約社員の皆様にも開かれた運動をすべきなのではないですか。労働者は団結しなくては、と言うではないですか」と申し上げれば、「労働組合内部のことに口を出さないでくれるか」「契約社員が安い給料で働いてくれるから私たちの職場環境が守られるのではないか」という声もいただきました。
しかし、その後、社会の格差が広がるにつれ、正社員と非正規労働者の溝が深まれば深まるほど、労働者層と使用者層の力の差が拡大していくという(当たり前と言えば当たり前の)構造が誰の目にもハッキリと見えてきました。
そこで、連合は、各県で、一人から加入できる「連合ユニオン」という労働組合を作り、現在は、非正規労働者対策に活動の中心を置くようになっています。
つまり、連合加盟の労働組合は、組織が大きい分だけ、意思決定の変更に時間はかかりますが、その時の時代に応じた形に変わってくる柔軟性はあると、私には分かっています。
今回の私の決意(民主党の離党)も、今は連合の皆様から見れば「裏切り者」と思われる行動なのかも知れませんが、将来、きっと組織的にも理解をしていただけるようなことになると信じています。
先にも書きましたが、私の今までの選挙は労働組合の皆様の御努力に支えられてきました。この2週間は奈良に帰る度にその方々から悲痛な声で「組織が「民主党基軸」と決定しているゆえに、てっちゃんが民主党を離党したら選挙の時に応援できなくなる」という言葉をいただきました。
今もその声を思い出すと断腸の思いです。
しかし、私は、いま民主党を出て「働く者が報われる「労働を中心とした福祉型社会」の実現」を旗印にする新しい政党を作らなければ、結局、労働者は報われなくなってしまうと確信しています。
労組に所属している皆様も、一人ひとりはよく分かっていらっしゃいると思います。実は、連合加盟の労働組合の中にも「うちのところは、てっちゃんを応援するで。今回のことはてっちゃんの信念やろ」と電話をいただいたところもあります。
組織の意思決定に時間がかかるので、タイムラグがあり、ずれることがあります。私にとってはそれだけのことであると分かってはいるのです。しかし、そのタイムラグにより、一緒にやってきた人たちと、今この時は一緒に始められないということが、断腸の思いで居るわけです。
ただ今は、私は一人の国民として「いま投票したい政党がない」と思うに至っています。
今の時点で一緒にやってきていただいた労働組合の皆様の力は借りられません。たった一人の力は小さいかもしれません。しかし自分が動かなければ変わりません。
だから、今回は、今まで声を発することもできなかった層の国民の皆様に身を委ねることを選びました。
言い換えれば、今まで自民党に対抗する運動は、労働組合に依存してきたということなのだと思います。国民が真の意味で自立し、自立の下で共生できる社会を選択するには、今回は、一般の国民の皆様が、民主主義にどのように参加されるかにかかっているのだと思います。
私も、その一般の一人の国民として、新党を作る運動を始めることにしました。これは、今起こりつつある「紫陽花革命」(あじさいかくめい)なのかも知れません。
長文の記事を読んでいただき、ありがとうございました。