【補足説明】国債発行と世代間の公平

(2012/11/09記)
財務省の罠』第三章7の予定原稿(本文:約2650文字)


国債の発行について質問をいただきました。「世代間の不平等の問題は?消費税は当代から徴収し、国債は次世代から徴収す構図に見える。年金も減額される中で、次世代はどんな負担を強いられるのか?その時も国債を発行?」という質問です。この点について、正面から既述していなかったので詳述致します。


国債の発行は、『財務省の罠』第三章3で述べたように、国民の資産を増やします。現在のように不況ゆえに金融緩和を行っている状態では、金利も上がらないのでクラウディングアウト(民間投資の追出し効果)も起こりません。

国債の発行については、財政法4条により厳しい制限が課せられています。現在の財務省が「財政法四条は、負担の世代間公平という考え方に立って公共事業費等に限って公債発行又は借入れを認めるという形で健全財政の原則を定めたものと解される」と、国債の発行は世代間の不公平に繋がると考えていることは明らかです。
(小村武「予算と財政法」(新日本法規出版、初版昭和62年(1987年)、四訂版平成20年(2008年))


しかし、財政法の立法当時の議論に戻れば、同時に、世界恐慌後の1930年代の北欧の財政論を参考にして、不況期には積極財政を採るべきであるという趣旨も含まれていたが分かってきました。当時の議論については、第九章で述べます。(ブログでは記事「なぜ赤字国債を発行するのに特例公債法が必要なのか」で既述です。 http://bit.ly/SGjaW3


1.基礎的財政収支均衡主義に対する疑問

御指摘の「消費税は当代から徴収し、国債は次世代から徴収す構図に見える。年金も減額される中で、次世代はどんな負担を強いられるのか?」という御主張は、財務省が唱える、世代間の公平の観点から、基礎的財政収支を均衡させるべきという原則に基づいた主張です。

しかし、私が疑問を呈しているのは、そもそも、本当に基礎的財政収支を均衡させることが、本当に世代間の公平に繋がるのか、という点です。

むしろ、誕生期から成人期にかけて人材育成にしっかりと国が投資をすることによって、国力を増大させていくということが投資対効果という意味で適切である。また、人の能力を引き出させるような機会を提供した上で、インフレとなり金利が上がるような経済状況の好転が実現した時に、増税をすれば、増税される世代は、過去の投資の結果によって生じた担税力で担税するので、こちらの方が公平であるという指摘をしています。


日本が対外純負債国、経常収支も赤字という国であれば、「世代間の公平の観点から、基礎的財政収支を均衡させるべき」という原則はある程度は妥当します。(この場合も、原則であって例外は認められます。cf.アメリカやイギリス)

しかし、日本は対外純債権国、経常黒字国です。国債を発行しても、自国内で消化されますし、そもそも自国通貨建てなので対外的に取り立てにあうこともありません。


このような国の特徴は、政府の債務は国民の債務ではなく国民の資産であるということです。政府の債務は一見、将来の国民が返さないといけない借金というように見えるのですが、その債権者も国民です。

国債を持っている債権者である国民は、償還期に得た円(円貨)で、何かを買わなくてはなりません。不況期で民間の資金需要がなければ、得た円(円貨)を民間投資へは投じられないため、結局、国債を買うしかないということになります。その意味では「その時も国債を発行」する、国民からみれば、その時も国債を購入するということになります。


2.構造的デフレ要因と将来世代への投資

日本は今、人口減少、海外からの値段の安い財の流入など、構造的なデフレ要因を抱えています。そんな国では、財政出動を多額に継続的に行って初めて、経済状況を好転させ、デフレを脱却させることができます。

つまり、多額の国債発行→財政拡張政策→経済状況の好転→資金需要の増加→金利の上昇という順番となります。国債償還時に得た資金が民間投資へ回るような状況になるということは、景気が良くなっているということなので、将来世代にとっても良いことになります。


また、現在の政府支出の構造が、子ども手当や高校無償化など、次の世代が競争力を持つ分野に力を入れている点が、世代間の公平性を議論する上で、更に重要な要素となります。

今まで、国債を発行して未来への投資をするということは、建設国債を発行して公共事業を行うということしかないと考えられてきました。しかし、この考え方は、ハードウェア中心の投資の考え方、分類すれば「産業革命期末期」の考え方だと言えます。

現在は、コンピュータの発明と電気通信網の整備により、情報通信革命期(IT革命期・ICT革命期)の初期にあります。投資については、人間の脳力にどれだけ投資するかが国家の帰趨を決めるような時代になっています。

どのような分野にどういう考え方で投資すべきなのかについては、第六章と第九章で書いていますので、参考にしていただきたくとして、ここでは世代間の公平性からの付言します。

国債を発行して「人への投資」を行うことは、円経済圏の経済力を更に拡大し、相対的な通貨の価値を維持することができるので、更に国債を発行する余力を持つことができるようになることに繋がります。


3.人への投資をしないとどうなるか

私の考え方に違和感を持っていらっしゃる方も居られるでしょうから、今度は逆に人への投資をしないとどうなるのか、という観点で見ていくことにしましょう。

同じ様なことは、クルーグマンが「さっさと不況を終わらせろ」でも述べていることではありますが、大切なことなので、私の言葉で書かせていただきます。


読者の皆様の周りにも、大学院に行っても就職先がないというような人がいらっしゃると思います。また、二十代、三十代に正規社員として仕事に当たらなければ、「安定したところでしっかりと働くゆえに自分の成長に取り組める場」を持てないことになります。二十代、三十代にきちんとした成長を遂げなければ、四十代、五十代の働き盛りの時に、高い生産性を持つことはできません。

そのため、若年期には、できれば完全雇用が達成できるようになるくらい、仕事を与えることが必要です。それには、経済状況が好転するように持っていく経済政策や社会保障の分野等で公的雇用を増やす政策が必要になります。それゆえ、若者の雇用状況を改善できるような経済状態になるまでは、公平の観点から見ても国債の発行を行い、政府支出を拡張することは正当性があるわけです。