内閣法制局長官人事に見る安倍政権のしたたかさ
今日(2013年8月8日)、内閣法制局長官人事が閣議決定されました。新長官は小松一郎(こまつ・いちろう)元外務省国際法局長です。
今回の人事の狙いは憲法9条に関する政府の憲法解釈を変え、今まで違憲とされてきた集団的自衛権の行使を可能とすることとされています。
初めて報じられたのは8月2日(金)の夕刊でした。私はこの人事を聞いたときに「安倍政権はしたたかだ」と思いました。その理由は2つです。この記事では、この人事の背後にある安倍政権に狙いについてお伝えいたします。
2つの理由とは、
1.野党分断への布石
2.憲法改正への布石
です。
1.野党分断への布石
今回の人事により日本国憲法の政府解釈が変われば、長年混同されてきた「集団安全保障への参加」と「集団的自衛権の行使」が切り離されることになります。長年の懸案だった国際法との「ずれ」も解消されることになります。
「集団安全保障への参加」は「集団的自衛権の行使」の論点に隠れていますが、これが可能となると画期的なことと言えます。ただ「画期的」と言えば画期的なのですが、長年自民党政権下で維持してきた憲法9条への憲法解釈を変えようというのですから民主主義プロセスから見て正統性も問われます。
混乱は必至でしょう。しかし、「集団安全保障への参加」という大義名分を盾に、正面から突っ込んでくると思われます。「憲法解釈は内閣の責任において行う」と菅官房長官も明言していました。
「集団安全保障」とは、端的に言えば、国連による警察的活動です。国連平和維持活動(PKO)などです。国際法の理解では「集団的自衛権」の行使とは全く別次元のものとされています。
ちなみに、集団的自衛権の行使とは、個別的自衛権の行使と共に、自衛権の行使の一種です。
誰にでも攻撃されたら自衛をするという自然権的権利があります。個別的自衛権とは、自分が攻撃されたら自分が反撃するというものです。集団的自衛権とは、同盟国が攻撃されたら自分も反撃するというものです。
国際法上は、集団的自衛権も、個別的自衛権も、国連による集団安全保障が発動されるまでの間の時限的な措置として認められています。(国連憲章51条)
http://bit.ly/djsnQ3
国連憲章51条「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」
この辺りの詳しい解説は、3年前の2010年7月4日にブログで書いております。合わせて参考にしていただければ、幸いです。
[戦争と平和]集団安全保障と集団的自衛権〜「米国に頼らない自衛力をつける為には」
http://d.hatena.ne.jp/NakamuraTetsuji/20100704
現行の政府解釈では、集団安全保障も集団的自衛権の行使の一環と位置づけてきました。だから、国連による警察的活動には、日本は「協力」できても「参加」はできないという法的な建て付けになっています。
だから、PKO協力法も、PKO参加法ではなく「協力法」という名前になっているわけです。
日本の論壇でも、両者の区別はしっかりとはされていません。集団的自衛権の行使と集団安全保障を混同する政府解釈の影響があったからです。
そこを今回、安倍政権は突いてきています。
今日の朝日新聞の天声人語でも「無理筋だろう。」と安倍政権を批判しています。
http://on.fb.me/1bdzqrL
しかし、どうも、安倍政権は批判を承知で今回のことに着手したと考えるのが普通でしょう。朝日新聞の読みはちょっと浅いと思います。
集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更は、実質的には憲法改正に等しいという立場もあります。変えるのであれば憲法の条文そのものを変えるべきだという立場です。例えば、民主党の代表が岡田克也衆議院議員の頃の民主党です。
そのような立場がある中で、憲法9条の政府解釈を変えるということは、衆参で安定した多数を政権与党が持っていて、かつ、野党が壊滅的状況を負っている時にしかできません。
だから、安倍政権は「今でしょ」と、参院選大勝後、すぐにこの問題に着手したのです。
そしてその最大の狙いは、野党の分断にあります。
今回の参院選の争点は経済問題だとされました。私たちは「アベノミクス」なるものは、まやかしであり酷い副作用をもたらすと予見していますが、民意は安倍政権の経済政策を支持したわけです。
次の争点は何かと言えば、やはり「武力をいかにコントロールするのか」という安全保障と外交がテーマになると考えるのが普通でしょう。安倍晋三総理の長年の課題でもあるからです。
そこで、参院選大勝で安定多数を得た今、いち早く集団安全保障体制に日本が「協力」の域を超えて「参加」できるようにすることを争点化する準備に入ったと見られます。集団安全保障や自衛権の行使について、野党の考え方は分かれているので、争点化すれば野党を分断できるからです。
ちなみに憲法9条に対する生活の党の立場は、以下の通りです。
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第二章(戦争の放棄)関係
・自衛権及び自衛隊については、現行の規定を維持した上で、下記の解釈を採る。
(1)外国からの急迫かつ不正な侵害及びそのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に限って、我が国の独立と平和を維持し国民の安全を確保するため、やむを得ず行う必要最小限度の実力行使は、個別的又は集団的な自衛権の行使を含めて、妨げられない。それ以外では武力行使しない。
(2)上記の自衛権を行使するために必要な最小限度の「自衛力」として、自衛隊を保有することができる。
2 国際協力
(1)国連の平和維持活動に自衛隊が参加する根拠となる規定を設ける。
(2)国連の平和維持活動への参加に際しては、実力行使を含むあらゆる手段を通じて、世界平和のために積極的に貢献する旨を規定する。
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http://www.seikatsu1.jp/policy/constitution
より詳しいQ&Aは、こちらから御覧になれます。
http://www.seikatsu1.jp/policy/constitution_qa
つまり、いわゆる「保守リベラル」の系譜にある生活の党でも、集団的自衛権の行使については、「外国からの急迫かつ不正な侵害及びそのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に限って」という限定つきではありますが、集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈に変更すべきという立場を採っています。
また、従来から小沢代表は集団的自衛権の行使と集団安全保障への参加は次元の違う問題だと位置づけ、憲法改正を経ずして国連の平和維持活動には参加すべきだという立場を採ってきました。
そのため、上記では生活の党も「国連の平和維持活動に自衛隊が参加する根拠」を明文で規定すべきだという立場を採っていますが、解釈の変更で集団安全保障への参加ができるように法律を変えた場合に「違憲だ」という立場は採れないと思われます。
しかし、生活の党の立場と自民党の立場は全く違います。
例えば、生活の党の立場を2003年イラク戦争への自衛隊の派遣に当てはめると、以前から小沢代表が申していた通り、「違憲」ということになります。
国連決議がないため集団安全保障への参加ではありません。武力行使と一体化していない後方支援だとしても、世界的に見れば兵站の一部を担っているため、戦争への参加そのものです。そして日本から見れば遠く離れた地であり「我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」ではなく、許される自衛権の行使に当たりません。
しかし、安倍政権は、イラク戦争への自衛隊の派遣を正当化し、かつ、それに加えてアメリカの世界戦略に全面的に協力できるように、制限なく集団的自衛権の行使を可能にする立場を採ると見るのが妥当でしょう。
両者は似て非なるものです。
ただ、おそらく、社民党や共産党は、集団的自衛権の行使そのものを否定するでしょうし、そもそも集団的自衛権の行使と集団安全保障への参加を混同する従来の憲法解釈を維持すべきだという立場を採るでしょう。
そうすると、社民党や共産党の支援者から見れば「生活の党も自民党と大差ない」ということになりかねません。
この点が問題です。
私は、いわゆる「ひだり」の人たちが、精緻な議論をされないことに危機感を持っています。私たち、いわゆる「保守リベラル」の立場と共同歩調を取れることはたくさんあるのに、精緻な議論を避けて純化路線を採り目先の「分かりやすさ」を優先する。
そのことを自民党は分かっているので、勝負を仕掛けてきていると私には見えます。日本の平和主義を大切にしたいと思う勢力は、いま大同団結しなくてはなりません。
まんまと自民党の策略に載って分断されることのないようにしたいです。
2.憲法改正への布石
1で述べた野党分断が成功すれば、次の段階に進みます。
それは、憲法改正です。自民党は、自衛隊を国防軍と改組するとしています。しかし、性質を変えるのでなければ、名称も自衛隊のままで良いはずです。
ちなみに、生活の党はこの点について、「自衛隊は、自衛のための必要最小限の実力を行使する主体として存在するものであり、これを国防軍と呼ぶ必然性はないものと考える。むしろ、国防軍と呼ぶことで、その実体が変わるのではないかとの危惧が生じる。」という立場を採っています。
http://www.seikatsu1.jp/policy/constitution_qa
また生活の党は「なお、自民党の改憲案では、9条1項(侵略のための武力行使は放棄するが、自衛又は制裁のための武力行使は放棄しない)は維持しているものの、現行の9条2項(戦力の不保持)に代えて、「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」と規定することより、自衛権の行使に際して必要最小限度という要件を取り払い、自衛権の名の下に無限定な武力行使を容認することとしている。「国防軍」への名称変更とあわせ、現在の自衛隊からその性格が明確に変容する改憲案となっている。」と自民党を批判しています。
無限定の自衛権の行使こそが戦争の拡大に繋がっていったという歴史の反省を踏まえ、自衛権の行使こそ限定的でなければならないというのが生活の党の基本的な考え方です。イラク戦争への自衛隊の参加についても、個別的自衛権の拡張的適用こそが戦前の日本の軍国主義に繋がっていったという見解に基づいて民主党時代から反対してきました。
しかし、自民党の改憲案は、このような限定をつけず、地球の裏側までも個別的であれ集団的であれ自衛権の行使ができるようにしようとしています。これは非常に危険です。憲法9条が長年守ってきた武力行使に対する抑制を外してしまうことになります。ここに本質的な問題があります。
ただ、野党を分断することに成功すれば、自民党には憲法改正に対して何のハードルもなくなることになります。
以上のように、自民党はここまで視野に入れて小松一郎駐仏大使を内閣法制局長官にしたと考えられます。
国民の皆さまの中には「中村さんは考えすぎだ」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。本当に「考えすぎだ」ですまされるような事態に留まればいいのですが。