「戦争責任」とは


たまたまテレビをつけたら、自民党のある代議士が「交戦権は、国家にある。大東亜戦争の戦争責任と言えば、日本国とアメリカ合衆国の双方にある」とおっしゃっていました。

「何かがおかしい」と違和感を感じました。

しばらく考えて、その違和感は、この代議士には被害を受けた国民の視点がないというところにあると分かりました。


大阪大空襲の話を今日も、父から聞きました。中村家が、間一髪助かった話を聞きました。多くの人が亡くなりました。中村家の家も工場も倉庫も焼けてしまって、その後、親戚のところに身を寄せたそうです。


「戦争責任」と言えば、国民が何百万人となくなった場合、それは国内問題であるはずです。国家に責任があることは当然として、国家の中の問題として、国家の意思決定をした人間の責任をどう取るのかということが、国民全体から問われるはずです。

なぜならば、指導者が、結果的に勝てなかった戦争をすると意思決定した場合、犠牲になった国民は、国家賠償も受けられず、ただ、被害を甘受しなければならないからです。

政治家にとって一番必要なことは、国民の命を守るということです。

戦うということは、相手から攻められるにせよ、国民の命を落としてしまう。戦いを避けるための外交ができなかったという時点で、戦争はいくら勝利をしたものであっても、次善だということだと思います。


そうすれば、国家の指導者は、多くの国民の命を落とした場合、責任を取る必要があるということは、明白でしょう。戦勝国の指導者の責任が問われないのは、国民の目が敗戦国に向うので、免責されるということに過ぎないのだと思います。


確かに、日本の場合には、戦前の体制では、「明確に責任を取ることのできるリーダー」は誰だったのかということをハッキリさせない体制でした。ある種の集団指導体制であり、連帯責任だった。

だから、敗戦を迎え、61年経った今でも、戦争責任を誰に問えるのか、ハッキリさせられないということなのかも知れません。


それならば、国家に戦争責任があるという論者がとる理屈からすれば、それは、国家の体制をそのようにしてきた、その時の国民全体の責任ということになるのでしょう。言ってしまえばその通りなのかも知れませんが、しかし、天皇を神として国民は認識をし、天皇陛下もそのことについて自分の意思ではどうしようもないような国家体制を周りに固められてきて、国民としては、どのような選択肢があったのか。


戦争責任が国家にあり、それ故にその当時の国民全体に責任があるということならば、戦後の国民は、今の国民は、そのことを十分に納得して受け入れなくてはなりません。


本当に、そんなことは可能でしょうか。


私は、政治家の役割は、国家のリーダーとなった指導者は、汚名をかぶってでも、その以降の国民が希望を持って生きていけるような道を引いていくことだと思います。

政治家にとっては残酷かも知れませんが、国家というものは、国民が幸せに生きるための手段であり、そのために、賢明な国民が多い国では、民主主義を取り、国民主権の体制を取り、政治家には結果責任を求めるという体制を取っているのでしょう。


もし、東京裁判ではなく、私たち日本国民が、自分たち自身で先の大戦の戦争責任を判断した場合、国民は、もっと残酷に、多くの指導者に責任を求めたのではないかと思うのです。もっと多くの指導者が、死刑に処せられたかも知れません。


そう考えると、この国の国民は、怒らない国民としてコントロールされているのではないかという思いを持つ方もいらっしゃるでしょう。でも、私はそうは思いません。

国民の皆様は、自分たちが持っている「力」に気づいていないだけでないはないでしょうか。国民主権の国の国民は、もっと残酷に政治家に責任を問えるはずだということを。


これからのニッポンは、国民が自分たちの痛みを実感する方向に導かれていきます。財政的にも、経済的にも、対外的にも。

その時に、自立した国民が、自分たちの国を主体的に選択できるようにするための環境を誰かが作っておく必要があります。さて、誰がその仕事をするのか。

結果的に、戦後体制の責任を一身に背負うことになるのかも知れませんが、その困難な仕事をするのが、今の時代の私たち若い政治家なのだと思います。