政策担当秘書へのきっかけ


風邪を引いて今日は自宅にいるので、昨日の続きを書くことにします。

1999年に司法試験を諦め、就職をしようと就職雑誌や求人広告に目を通すようになりました。しかし、27歳・既卒の学生を大企業が取ってくれるはずもなく、また、これから一生「出遅れ社員」として企業の中で生きていくことにも自信はありませんでした。

履歴書を送ったりもしましたが、「司法試験は続けないの?」と聞かれて、諦めたはずなのに即答できない自分も、そこにはいました。

そんな自分を企業が採用するはずはありません。進路に迷う日々が続きました。しかし、生活のためにとにかく動かなくてはならない。焦りもありました。


そんなある日のこと、自宅の電話が鳴りました。参議院議員海野徹(うんの・とおる)事務所からでした。「政策担当秘書の採用について、応募する意思はありますか?」というものでした。


私は、大学4年生の時(1994年)に、その前年(1993年)に創設された「国会議員政策担当秘書」という資格を取っていました。

合格直後の話では、政策担当秘書とは名ばかりで実際には政策のことはさせてもらえないという話でした。だから、採用希望のエントリーはしませんでした。

しかし、今年(1999年)は、試験に落ちたら就職しなくていけない、職を選んでいる余裕はない、だからエントリーはしておこう――。そういう思いで、エントリーシート(希望調査票)を国会に提出しておいたのでした。


海野事務所からは、まず応募のための論文を書いてもらうという話でした。そのための応募要項を送ってもらうはずだったのですが、届きません。そのうち、「海野がまずお会いしたいと申しております。交通費を持ちますので、出てきていただきませんか」という話をいただきました。

国会議員と一対一で話する機会なんて、一生に何回もないだろう」
「交通費まで出してくれるらしい」
「東京の叔父さんにも会える」

そんな軽い気持ちで面接に行ったのを覚えています。
1999年6月7日のことでした。