田母神問題は「文民統制」の問題


本日(2008年11月11日)、田母神(たもがみ)前航空幕僚長参考人として参議院外交防衛委員会に出席し、質疑が行なわれました。

田母神氏の論文は、アパのサイトから読むことができます。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf


田母神氏が政府方針に反する論文を公表したことそのことも問題でありますが、本質的な問題の所在は、政府方針に反することを論文に書いて公表することに対して、政府の側が何らのコントロールもできていなかった点にあります。

問題の本質は、「文民統制」です。


私は、最近、半藤一利「日本のいちばん番長い日」を読み返しました。

日本のいちばん長い日―運命の八月十五日

日本のいちばん長い日―運命の八月十五日


立憲君主制の下、昭和天皇は自分の意思を国政に反映することを禁じられていました。私は、極論すれば、昭和天皇が親政を行なっていれば、戦争は起こっていなかったのではないかと感じています。(もちろん、天皇の親政はその天皇の個性に左右されてしまうので、国家システムとしては危険きわまりないのですが、昭和天皇というのはそのように思わせるほど、見識のあった人ではないかと感じているという趣旨です。)

しかし、昭和3年の張作霖爆殺事件をめぐるやり取りの中で、昭和天皇田中義一総理大臣の辞職を求め、田中総理は辞職の後に亡くなります。西園寺公望から、立憲君主制の下での君主は、内閣から上がってくることには異を唱えることを自重しなくてはならない・・・、と求められました。

日中戦争は、国体護持を唱える軍部が独走してはじめられました。しかし、戦局は本土決戦に追い込まれる寸前まで来て、ポツダム宣言受諾を迷ううちに、原爆も落とされ、ソ連も参戦しました。昭和天皇が、自分の身はどうなってもいいと御聖断なさり全ての責任を自らかぶって終わらせた戦争。そこまで天皇陛下にさせてしまった反省すべき軍部の姿を、自衛隊は忘れてしまったかのようです。


民主主義国家においては、武力を法の下にコントロールするということが非常に重要です。武装集団である自衛隊は、主権者である全国民を代表する政治家の中から選ばれた総理大臣が最高責任者となります。

当然、自衛隊員の全ては、今の政府の意思をきちんと認識して行動しなければなりません。

それは、自衛隊のトップでも同じことです。


自衛隊内部での教育については、政府はその内容について責任を持たなくてはなりません。そこで育った自衛隊員が、主権者である日本国民に代わって(自衛のために限るとはいえ)武力を行使するからです。

その点について、政府のコントロールが及んでいなかったのではないかというおそれが今回の問題によって明らかになったということです。


政府は、田母神氏について本人も望んでいるように、懲戒手続きに入るべきでありました。しかし、長引くからという理由で曖昧なまま幕引きを図ったのは、「文民統制」に失敗した自分たちの姿を隠すためであったとしか言いようがありません。


参議院議員 中村てつじ
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