人間として尊いこと


昨日のNHK大河ドラマ平清盛」は、清盛の永年の同志であった兎丸(うさぎまる)が志半ばで命を落とすという話でした。兎丸は、この大河ドラマでの創作であるようですが、大輪田泊(現神戸港)の整備の責任者と位置づけられていたりして、重要な役割をドラマの中では果たしています。

兎丸は、盗賊出身なのですが、父・朧月(おぼろづき)時代から、義に厚く、金持ちから奪い、苦しむ民に施すという盗賊でした。盗賊を辞め、清盛と共に何十年も行動を共にするという筋立てになっています。

この放送を見た後、先日、インターン生からの質問について答えたことについて、あらためてまとめておこうと思いました。


この夏からインターンシップで国会の会館事務所に来ているインターン生から「人生で何を大切にして生きていますか」と尋ねられたことがあります。直接的な答でなかったかも知れませんが、以下のように答えました。


だいたい、人生で何を求めるかという問いの時、
1.女(家族)
2.カネ(経済)
3.名誉
の3つが問いの場合が多いと思います。

「女、カネ、名誉、この3つだったら、何を求めますか?」
というような質問ですね。


でも、私は、あえて「4つ目の選択肢があります」と設定してそれだと答えています。
「考え方を残すこと」


考え方を残すことは、上の3つの選択肢とは質的に違います。上の3つの選択肢はいずれも成果が個人に帰ってきます。しかし、考え方を残すことは、人から人へと伝わり広がっていくものです。誰がはじめに考えたことかは残らず、より進化する形でより良いものに変わりながら社会に広がっていき、個人の成果にはなりません。

そして、人間的に一番尊い生き方は、成果を自分に帰属させることを目的にせずに、未来の人たちがより良く人生を生きられるように考え方を伝えていくことを目的にすることだと私は信じています。


なぜ、このような考え方を私がするのか。
それは、私の死生観と関わっています。


私は自分のつれあいを6年前に自死で亡くしています。「奥さんを守れなかった人間に国を守れるはずはない」という言葉を演説中に投げつけられることもありました。また、事実と異なる報道をされ、名誉毀損の訴訟を起こすようなこともありました。
http://d.hatena.ne.jp/NakamuraTetsuji/20100621


彼女が亡くなった時は、ちょうど衆議院選挙で落選をし、浪人中の時でした。「自分が生きている意味は何なんだろう」と思いました。愛する人も亡くなり、(彼女が病気だったため薬の関係で)子どもも持てず、郵政三事業の必要性を訴えても国民には受け入れられず落選し、自分が生きている意味なんてないかのようにも思えました。


しかし、あの郵政選挙で猛烈な風が自民党に吹いたにも関わらず、7万人以上の人が私に投票をして下さった。確実に「これではいけない」と思って下さっていて、私にかけて下さった方がいらっしゃった。それが事実だと気づきました。

「国民の皆さまに選択肢を用意しなくてはならない」というのが、2000年(平成12年)に衆議院に初挑戦した時の初心でした。

その初心に叶う生き方、考え方とは何なのか、よく考えました。


行き着いた答えは、「自分は、この人生を終えても、また必ず人間として生まれかわってくる。その時に、この人生で成果を出せなくても、次の人生でその続きをすればいいではないか」という答えでした。

そうすると、生き方も変わります。

この人生で成果を出し切れなくても、次の人が引き継いで下されば良い。自分は、その人たちがまた途中までやってきたことを生まれかわってやればいい。そして、そのことを繰り返していくうちに、必ず実現する。

このように考えるようになりました。それが、私の死生観となりました。


人類にとって究極の目標は、世界が平和になり、人類一人ひとりが殺し合うことなく平穏に人生を送れるような種(しゅ)になることだろうと思います。

その究極の目標は、遠すぎてなかなか出来ないものです。

それ以前の大きな目標として、日本の国が、世界の中で、世界平和に向けて大きな役割を果たせるような国になるという目標もあります。この目標も、簡単ではありません。

日本がそんな国になるためには、まず日本に生きる人たち一人ひとりが争うことなく人生を豊かに生きていける、そんな国にすることが必要です。


そのためには、国際的に日本がどのような役割を果たしているのか、国民の大方が自覚し、日本が世界の中でこれからどうしていったら良いのかということも伝えていくようなことが大切になります。

国民の「自立と共生」。
一人ひとりが自覚的に行動し、自律の上で自立し、
自立した国民それぞれが助け合い、暖かな国家を作っていく。


このようなことは、自分の人生をかけても簡単にできることではありません。2009年の政権交代の時までは、自分の人生をかけても、自分の生きている間に政権交代さえ日本で実現するのかどうかも分からないという気持ちもありました。政権交代は果たしましたが、政治を良くする取り組みは、まだまだ道半ばです。

今回の消費税増税を見ても、選挙の時の約束を守らず、選挙の時の約束を反故にするほどの財政の危機があると嘘をつく、今の民主党執行部のやり方を目の当たりにして、「自分が人生をかけてきた政権交代とは何だったんだろう」と暗い気持ちになりかけます。


しかし、私には、自分が政治家ゆえに、選択肢を国民の皆さまにお示しできるということに気づきました。

確かに、民主党に残った方が政党交付金も多額に受け取れ、労働組合などの組織もつき、政治家としては身分を保ちやすかったかもしれません。しかし、それで本当にいいのかと。

それよりも、きちんとした考え方を示し、すぐには成果は出ないかも知れないけれど、自分に成果が帰着しない形で、行動をして行くことによって、将来いつの日にかよりよくなってまともな国のかたちになっていくのではないかと思うに至りました。


今回、民主党を離党し、「国民の生活が第一」の結党に参加したのも、そのような思い、考え方からでした。


このような生き方は、損か得かと言われれば、損な生き方なのかも知れません。しかし、尊い生き方だと自信を持って答えられます。そして、自分が尊い生き方だと自信を持って生きていれば、困った時には誰かが何とか助けて下さるということは、今までに経験をして来ました。

だから、結局、「損なように見えたかも知れないけれど、自分は人間として一番良い生き方を選べた」と、死ぬ時になって思えるような気がするのです。


昨日の大河ドラマから、日頃私が胸に抱いて生きていることを書かせていただきました。冗長だったかも知れません。また機会があったら、直接お話ししたいと思います。