本の紹介「本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」」ほか

(2014/05/03「中村哲治メールニュース」バックナンバー)

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連日のメールになりまして、すみません。今日は憲法記念日だったので、その関係で2件、どうしてもお伝えしたいことがあったのです。お付き合い下さい。

よろしくお願いいたします。


1.まず、本の紹介です。

「本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」」前泊博盛(編著)http://honto.jp/netstore/pd-book_25499298.html

本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」 (戦後再発見」双書2)

本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」 (戦後再発見」双書2)

「今日は憲法記念日なのに、「憲法より大切な」とは何ごとか!」とお叱りの声が聞こえてきそうです。

でも、私はこの本を読んで、日本とアメリカの関係が「事実上」植民地と宗主国との関係にあるのではなく「法的に」植民地と宗主国の関係にあるということが分かったのでした。

自分の浅はかさも痛感させられました。

本書で述べられている事実は、日本国憲法の上位にあるのが、日米地位協定日米安保条約ということです。現代の不平等条約であり、この条約改正に取り組んで来なかった自分は、何て浅はかなのだろうと痛感したのです。

「おいおい、法学部を卒業した人間が、何を言っているんだ。条約は憲法の下位規範であることは、憲法学で習うだろう」というお叱りの声が聞こえてきそうです。

そうです。形式上は、条約は憲法の下に位置します。

しかし、「砂川事件最高裁判決によって、日米安保条約とその細則である日米地位協定は、最高裁憲法判断をする対象から外されているのです。

そして、半世紀後の2008年になって、アメリカの公文書により、「砂川事件最高裁判決の当時、日本の最高裁長官と日本の最高検察庁がアメリカ国務省の指示に従って行動していたことも明らかになりました。

本書の240ページ以下に、新原昭治氏と末浪靖司氏のお二人がアメリカの公文書からどのようなことを明らかにしていったかが紹介されています。

いま、安倍政権は「砂川事件最高裁判決を理由に、集団的自衛権憲法解釈を変更しようとしています。

砂川事件」の最高裁判決がなされたのは、1959年12月19日です。

もう、55年前に憲法最高裁とアメリカの手によって変えられてしまっていたわけです。

その「砂川事件最高裁判決を根拠にして安倍政権が憲法解釈の変更をしようというのは、歴史は繰り返すということなのかも知れません。

こういうことを書けば、「またアメリカの陰謀論を言って怪しい」というレッテルを貼られます。そして、自主独立派の政治家は、政界から抹殺されていくことになるわけです。

しかし、知ってしまっていて、黙っていていいのか?
とも思うわけです。

だから、今日も私は迫害を恐れず、事実を伝えることにしたわけです。
どうせ、もう後戻りはできませんし。


2.憲法記念日だということで、我が党からも談話が出ております。
次に、それを紹介させていただきます。
http://wp.seikatsu1.jp/?p=7676

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憲法記念日にあたって』

平成26年5月3日
生活の党代表 小沢一郎

本日、日本国憲法は施行から67年を迎えました。

生活の党は、憲法とは、国家以前の普遍的理念である「基本的人権の尊重」を貫徹するために統治権を制約する、いわゆる国家権力を縛るものであるという立憲主義の考え方を基本にしています。また、憲法は、国家のあり方や国法秩序の基本を定める最高法規として安定性が求められる性質のものであります。したがって、国民主権基本的人権の尊重、平和主義、国際協調という憲法の四大原則は引き続き堅持すべきであります。

しかし安倍政権は、戦後一貫した集団的自衛権に関する憲法解釈を、いとも簡単に一内閣の権限のみで変更しようとしています。憲法9条の解釈は、戦後から現在までの長年にわたる国会審議において、国会と政府の共同作業によって練り上げられてきたものであり、国会審議を経ることもなく、一内閣が行う閣議決定によって軽々に変更が許されるものではありません。

生活の党は、憲法9条が容認している自衛権の行使は、我が国が直接攻撃を受けた場合及び周辺事態法にいう日本の安全が脅かされる場合において、同盟国である米国と共同で攻撃に対処するような場合に限られるものと考えます。これ以外の、日本に直接関係のない紛争のために、自衛隊が同盟国の軍事行動に参加することは、歯止めなき自衛権の拡大につながりかねないものであって、現行憲法9条は全くこれを許していないと考えます。

一方で、憲法は、国民の生命や財産、人権を守るために定められ、平和な暮らしを実現するための共同体のルールとして国民が定めたものなので、四大原則を守りつつも、時代や環境の変化に応じて必要があれば改正すべき点は改正すべきです。生活の党は、国民がより幸せに、より安全に生活でき、日本が世界平和に貢献するためのルール作りをめざし、国民とともに積極的に議論して参ります。

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私はこの談話を読んで、生活の党の方針が確定したと理解しました。

従来の小沢代表の言説からすれば、憲法9条が容認している自衛権の行使については、限定的な集団的自衛権の行使に限れば、憲法解釈の変更は容認する立場であったように思います。

ただ、今回の談話では、「憲法9条の解釈は、戦後から現在までの長年にわたる国会審議において、国会と政府の共同作業によって練り上げられてきたものであり、国会審議を経ることもなく、一内閣が行う閣議決定によって軽々に変更が許されるものではありません。」と国会審議を経ることなく一内閣が憲法解釈の変更を行うことを批判しています。

この立場は、従来、鈴木克昌幹事長名で示されていたことでしたが、今日、あらためて小沢代表名で示されたことに意味があります。

背景には民主党の方針に合わせることで野党共闘を実現していくという狙いがあるのだとも思いますが、これで安倍政権に対する我が党のスタンスも、よりハッキリしました。

「それでは、中村はどう思うのか?」
と言われるかも知れません。

私は国際法憲法解釈のねじれは、憲法解釈を変更して正すべきだと考えて参りました。今もその考え方には、変更はありません。

ただ、安倍政権の問題は、ご都合主義で立場を変えていくということです。
一言で言えば、情緒的な政権であり、論理的でない政権です。

安倍政権が「制限をかけた集団的自衛権」と言っていても、何をもって「制限」と言うのかが全く分かりません。

例えば、私や生活の党の立場で言えば、イラクへの自衛隊の派遣は憲法違反になります。しかし、安倍政権の立場では憲法違反どころか、今回の憲法解釈の変更により、堂々と武力行使を前提として国連決議のない多国籍軍自衛隊を派遣できることになりかねません。

日本は最高裁さえ、アメリカ政府と通じて憲法をないがしろにするような国です。確かに、それを許してきたのも、私たち国民です。

しかし、その我が国において、ここで簡単に憲法解釈を変更すれば、あとはご都合主義でどんどんずるずると戦争に向かって進んで行くという力に抗えなくなるのではないかと恐れるのです。

こんなことを書けば、また、「空気を読め!」とでも言われるのかも知れませんが。

ただ今は、私たち国民が一歩立ち止まって考えるべき時に来ている
と思うのです。

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