第21回「黒田日銀総裁の失敗」銀行で滞留する緩和マネー

住宅産業新聞 連載「住宅産業が日本経済を救う」
2017年(平成29年)3月30日(木曜日)号
第21回「黒田日銀総裁の失敗」 銀行で滞留する緩和マネー

 

【黒田総裁の失敗】

 今回は昨年末にお約束をした日銀が失敗した理由について述べたい。思い返せば四年前の春だった。日本銀行黒田東彦(くろだ・はるひこ)総裁は就任記者会見で二年内に物価上昇率を二%以上にすると宣言した。マスコミも沸いた。本来の目的は物価が上がるぐらいに経済をよくするという意味だ。しかし、実際はどうだったか。現在では経済をよくするという目的は忘れられ、物価上昇率そのものが目的だったかのように扱われている。

 「異次元緩和」と呼ばれた黒田総裁の金融政策は、昨年二月から「マイナス金利」まで加わって四年間突っ走ってきたが、効果は実感されていない。結局、昨年の十一月に黒田総裁は事実上の敗北宣言をされた。どうしてこうなってしまったのだろう。黒田総裁はなぜ失敗したのか、今回はその理由をお伝えしたい。

日本銀行の目的は?】

 そもそも日本銀行は何の目的で作られたのだろう。なぜお札は「日本銀行券」であり「政府紙幣」ではないのだろうか。

 明治時代の初めには日本銀行はなかった。だから「日本銀行券」も世の中にはなかった。お金とは政府が直接国民に発行する「政府紙幣」だった。ただ、江戸時代末期から藩札という紙幣が世の中にあふれていて、紙幣の信用が低いことは国家的な問題だった。お金の信用が低ければ国民は使わない。国の経済は回らない。国民は豊かさを実感することもできない。だから、明治政府は何とかして円の価値を高めようとした。

 特に大きなきっかけになったのは1877年の西南戦争だった。歴史的には日本最後にして最大級の内乱である。この内乱を抑えるための戦費を政府は政府紙幣の増発でまかなった。膨大な政府紙幣が流通するようになり、ひどいインフレになった。翌年のコメの値段は倍になり、同じ円でも紙幣と銀貨では価値が大きく違ってしまうという現象まで起きた。

 現代の財務大臣にあたる大蔵卿に松方正義が就任し、国家財政を緊縮させた。生み出した財源を使って政府紙幣を減らした。この後、1882年になって日本銀行が設立された。つまり、日本銀行が設立された目的は、通貨の価値を高めて物価の上昇を抑えることだった。

国債は定期預金】

 さて、私たちが銀行に普通預金や定期預金の形でお金を預けているように、実は、銀行は日本銀行にお金を預けている。日銀が「銀行の銀行」と呼ばれているゆえんだ。

 例えば「日銀当座預金」は銀行にとっては私たちの普通預金のようなもので、私たちが普通預金を銀行引落や銀行振込などで支払いに使うように、銀行は日銀当座預金を他の銀行に対する支払いに使う。基本的には利息はつかない。

 また「国債」は銀行にとっては私たちの定期預金のようなもので、満期になるまで毎年利息を受け取れる。だから、余ったお金があったら、基本的に銀行は「日銀当座預金」に入れないで「国債」を買うことになる。

つまり、銀行にとっては

・「日銀当座預金」=普通預金

・「国債」=定期預金

であり、その視点から黒田総裁の金融政策を見れば分かりやすい。

 ちなみに、基本的には国債は定期預金のようなものだが、少し違うところがある。国債は定期預金と同様に①満期がある②固定金利であるという2点は共通しているが③債券である点が違う。実は、この特徴があるから、日本銀行は物価を抑えることができる。詳しく言えば、日銀が持っている国債を市場で売ると市場からお金が日銀に戻ってくる。お金が流通する量を減らすとお金の価値が上がる。その結果、お金の価値が上がるので不必要な消費が抑えられ物価が落ち着いていくことになるわけである。

 そのメカニズムの真ん中に国債がある。

 国債は固定金利の債券なので、市場の金利の変動によって価値が変動する。金利が上がれば価値は下がるし、金利が下がれば価値は上がる。日本銀行国債を売ったり買ったりすることで市場に流通するお金の量をコントロールし、金利を上げたり下げたりすることができる。

 例えば1%の金利で満期まで10年ものの100万円の国債があるとしよう。満期まで残り9年の時点で市場金利が2%に上がっていたとしたら、その国債はいくらで買えばいいのだろう。100万円で買ってしまうと買った人は差の1%の金利分を毎年損することになってしまう。だから100万円から1%×9年分=9万円を引いて売買価格は91万円になる。このようにして、金利が上がれば国債の価値は下がり、金利が下がれば国債の価値は上がるというしくみになっている。

 国債がこのような機能をもっているため、日銀は国債を市場で売ることにより自らが発行するお金の価値を上げることができる。

【黒田総裁の失敗】

 黒田総裁は、日銀はお金の価値を上げることができるのだから、市場に流すお金の量を増やすとお金の価値を下げることができると単純に考えたのだろう。しかし、金融市場にお金を流しても、そのお金は銀行で滞留して民間には流れてこなかった。結果として、お金の量は増えずお金の価値も下げられなかった。

 結局、黒田総裁が四年間でやったことは銀行の持っている国債をかなり強引に買い取って日本銀行当座預金として預けさせただけである。皆さんの家計でたとえるなら、銀行が普通預金の利息を引き上げて定期預金を普通預金に預け替えするように奨励したようなものだ。

 黒田総裁は、お金が定期預金に入っていれば使いにくいから、普通預金に預け替えてもらったらお金は使ってもらえるという発想をしたのだろう。でも実際に起こったことは想定とは違った。日銀当座預金に預けられたお金は動かず民間にお金は流れていかなかった。

【お金の機能と国債

 なぜお金は流れていかなかったのだろう。

 民間にお金を流すには、この連載で伝えてきたように①銀行が民間にお金を貸すか、②政府が国債を発行して銀行からお金を得て予算の執行を通して民間にお金を流すかしか方法がない。日本銀行は、金融緩和により銀行にお金をたくさん持たせれば、銀行も民間にお金を貸すようになるだろうと考えた。しかし、銀行にしてみれば貸し倒れのリスクと得られる金利の低さを比べると、なかなか積極的には民間にお金を貸せなかった。

 前述のように銀行としては日銀当座預金に預けるよりも国債として持っていた方が基本的に儲かる。そこで黒田総裁は、奇策を打ち続けてきた。

 第一段階は、2015年末までは新規で日銀当座預金に銀行がお金を預ければ金利を0.1%つけてきたことである。従来、日銀当座預金は「当座預金」という名の通り、金利はゼロだった。銀行は金利ゼロの日銀当座預金にはお金を預けたくなかった。そこで、日銀は金利を0.1%つけ、かつ高値で国債を買い取ることで日銀当座預金の残高を増やしていった。

 第二段階が、2016年2月から始まったマイナス金利政策である。マイナス金利で銀行が損をする分についても日銀が国債を買い取る際にその分を上乗せする形で買い更に日銀当座預金の残高を増やしていった。

 ここでポイントは、日銀当座預金に課されるマイナス金利の部分が大きくなると銀行の収益が圧迫されるので銀行の貸し出し余力がなくなり、かえって銀行から民間への貸し出しが抑えられる可能性が出てくることである。それでは本末転倒なので、日銀はマイナス金利の部分が大きくなると、マイナス金利の範囲を見直してゼロ金利が適応されるようにしている。また、2015年末までの日銀当座預金についてはプラス0.1%の金利はつけ続けている。

 黒田総裁がこの4年間で行ってきたことは、この二段階の奇策に過ぎず、結局は、銀行が日銀に預けているお金を定期預金から普通預金に付け替えさせているようなもので、銀行から民間にお金を流すことについてはほとんど何もできていない。

【解決策は財政の拡大】

 解決策は原点に戻ればいい。日銀が創設された目的は財政の拡大に歯止めをかけて物価を抑えることだった。だからデフレの状況では物価の上昇が見られるまでは経済対策として財政を拡大すればいい。結論は単純だが従来の通説と異なる。(インテリ層からはかえって理解をえられにくいのが今の私の悩みである。)