2021年頭所感「本当の意味での「将来の世代への責任」」

あけましておめでとうございます。
コロナ禍の中で新年を迎えられ、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。政府が採る対策は不十分なまま、年末12月31日には東京のでコロナの感染者数が1337人と過去最高になるところにまで来てしまいました。私たち国民から見れば、政府も頼れない、しかし、自分たちが持っている手段も少ない。そのような状況の中で、不安に思っている方も多いのではないでしょうか。

多額の予算はつけられているのに、お金が回っていくのは、政府与党との利権を持っている人たちに対してばかりで、膨大な中抜きが起こっている構造も見えてきました。

医療の現場では、人的にも物的にも医療資源はひっぱくしているのに、危険手当も十分に支払われない、人的なサポートも十分ではないことが明らかになってきました。

また、持続化給付金などのコロナ対策の窓口になっているコールセンターでも、現場で電話を取る人たちは非正規社員の方々で、研修も不十分なまま前線に立たされていることも見えてきました。仕事を政府から請け負った事務局の会社からコールセンターを運営している会社までに何重にも中抜きの企業が入っていると推測できます。

政府は「お金がない」と言いながら、中抜き企業には多額の予算を与え、国民が本当に必要としている現場には予算を回さない。

このような政府与党の有様を見て、多くの国民の皆さんが何かおかしいと思われるようになってきたのではないでしょうか。そこで、この2021年の年頭にあたり、私の所感を述べます。

私もコロナ禍の中で昨年2020年4月からツイッターでの言論活動を再開しました。そして、翌月の5月11日から「お金のしくみ」オンライン勉強会を始めました。勉強会では国政の現場で見聞きし知った事実を伝えています。実は一昨年の時点ではそれらの事実を伝える言論活動にくじけ、もうこれ以上言論活動を続けても世の中は変わらないと諦めていました。しかし、このコロナ禍の中で、変わるまで事実を伝え続ける必要があるという確信を初めて持つことができました。

強い動機になっているのは、本当の意味での「将来の世代への責任」です。

その責任を果たしたいと思いました。

「将来の世代への責任」といっても、私の立場は、国債のことを「国の借金」と呼び財政を緊縮させてきた今までの主流派の立場とは全く違います。

私の立場は、いまの現役世代の人たちが働きやすい状況を作ることが、社会を支える層を強くし、ひいては社会全体を強くすると考える立場です。そして、どの世代でも普遍的に自分の意思と能力に応じて働くことができ、社会の一員として充実した人生を送れるようにいま環境を整えることこそが、いまから大人になる子どもたちやこれから生まれてくる人たちに対して、本当の意味で責任を果たすことになると考えます。

これに対して、国債のことを「国の借金」と呼ぶ現在の主流派の立場は、財政を緊縮させ、国民に十分な公的サービスを受けさせないことが、正しいと主張しています。しかし、彼ら財政緊縮派の立場によりこの30年間日本で実践されてきた経済政策では、例えば、就職氷河期世代以降の人やシワ寄せを受ける女性の方たちは、労働の非正規化、分断化で、とても厳しい生活を強いられる結果を導くこととなりました。そして、彼ら財政緊縮派は、非正規で働く人たちの苦しい生活を「自己責任」という一言で片づけ、環境を整えることを放棄しています。彼ら財政緊縮派は、将来の世代が豊かに暮らすことができるようにする芽を摘んでしまっています。実際に、この30年間日本で実践されてきた経済政策の結果、一部の人たちだけが富を巻き上げ、多くの人たちは生活に苦しむ社会構造が固定化されるに至っています。
しかし、そもそも世界一の純債権国として世界各国の人たちから「お金持ちの国」と認識されている日本において、非正規化や低所得化で人びとが生活に苦しんでいるということは客観的に見ればこっけいにさえ見えることです。

一部の人たちが富を収奪する構造を変えるためにも、事実を事実として認識できる「場」がすこしでも多く社会に存在していることが必要です。だから、私は、私にできることとして、その事実を共有することができる一つの「場」として「お金のしくみ」の勉強会を続けていこうと考えました。またその「場」を維持していくためにも私自身がより人の話を聞き、また、自らの表現もより磨いていかなくてはならないと考えています。

以上が、私の年頭所感です。あらためてになりますが、今年もよろしくお願いいたします。また、今年が皆さんにとって、よりよい一年になりますように。心よりお祈りいたします。