人が人であるために−「絆」−現場の仕事を如何にして増やすか


今年も年末12月31日は休みを取って自宅にいた。自宅にいると一日中家に居た司法試験の受験生をしていた頃のことを思い出す。その頃、社会から切り離されて自分は価値のない人間のように思えた。

この年末に新聞の特集でも今年流行語になった「無縁社会」をテーマにした記事があった。39才独身で一人借家に住んで餓死した人のことが載っていた。私と同じ年だ。自分もそこに居たかも知れない、ここに居るのは紙一重のことだと思った。

今年は旧司法試験の最後の年だった。私は5回受験をして諦めたが、大学の同級生は16回連続して受験していた。今年は最後の年にも関わらず、択一試験で不合格だった。来年以降も受験するには新司法試験を受けなくてはならず、そのためには法科大学院に入り直すか来年から始まる司法試験の受験資格を得る「予備試験」にあらためて挑戦しなければならない。早くても再来年の合格になる。彼は司法試験を諦め、今年の夏から当面ということで私の事務所で勤めることになった。


私が生き方を変えたのは、司法試験を諦めた27才の時だった。

それまでは、「偉くなって、その力で人助けをしよう」と思っていた。今から思えば尊大な自我であった。司法試験に失敗して、親から泣いて方向転換を求められた時、12才から思い続けたことを諦めることへの無念とともに、「こんな自分でも、今まで多少なりとも身につけたことで、目の前の困っている人に寄り添えば、少しは役に立てるかもしれない、そう考えて生きていこう。」と思った。

そして目の前の仕事に求められるよりも少しだけ多く関わるようにした。その姿勢で生きていると、大学の同級生を衆議院候補として静岡に連れて行くことができた。その同級生は、今や日本を代表するような若手有望株の代議士になっている。その後、自分も同じ衆院選に立候補することとなり、28才で代議士となった。


無縁社会」と言われるが、仕事がない人は、他人とも関係を作りづらい。人は働いて、お金を稼いで、やっと人格を保つことができる。人に自信を持って接することができるようになる。

「仕事を選んでいるからや」と言われる。

確かにそうかもしれない。しかし、そのことを正面から認めるのには勇気が要る。私は、目の前のことにとにかく取り組むという人生に、27才の時に変わることができた。そしてそれゆえに、若くして社会の構造を見ることができるような環境においてもらうことができた。それは、たまたま運が良かったからだと思う。

自分から縁を作るということは、ちょっとしたきっかけ。
たまたま、そんなことに気づけたので、一歩を踏み出すことができた。
そして、その一歩が結果を大きく変えるわずかな差を生むことにつながると、後で分かった。


司法試験を諦めた同級生には民間での就職を薦めた。私には民間経験がなかった。自分が苦労した経験があったから。しかし、ハローワークに詰めても、40才前の社会人経験のない男は、なかなか思うような仕事には就けなかったようだ。新年からは、あらためて私の秘書として一生一緒に仕事をして行きたいと彼から思いを聞いた。どこまで本気なんだろうかと思ったが、彼にも選択肢はない。私も思いきって一緒に生きて行く決意をした。


経営者、つまり、ドラッカーの「マネジメント」を読んで組織での「成果」を如何に残すか、というような思考をできる人間は限られている。経営には向いていないけれど、現場で汗を流して働くということは好きで向いているという人は居る。

問題は、そのような現場の仕事は、情報通信革命期では、賃金の安い途上国に流れ勝ちであるということだ。だから、経営者=「マネジメント」に向いている人間に必要なことは、「現場で働く人」たちに如何にして仕事を作るのかということだ。


日本では、現場の仕事が製造業に集中している。公共事業でも今まではコンクリートを使う土木や建築ばかり。生活の質を向上させる住宅、特に木造住宅に対する仕事は、国家として「成長産業」と位置付けられてこなかった。

この寒さでお年寄りが倒れ、仕事のない若者が寒い部屋の中で孤立化していくという日本の現状。既存住宅について適切な不動産市場があれば、既存住宅に対して手をかければその分だけ資産価値は増えるということになれば、リフォームは投資となり需要は増えていくはず。

当然、質を上げる施工をしていく必要があるので、施工管理をする(「マネジメント」をする)人(経営者)が現場を如何に作り上げていくかということが、必要となる。

12月27日のブログで書いた住宅政策の記事は、そのような思いから日頃取り組んでいる課題である。ただ、私のような思いで住宅産業を捉え、若者に仕事を増やして行くべきだと考えている人間は、未だ多くない。


「絆」という言葉はとても良い言葉だ。
でも、それを求めていくことには、一人ひとりに勇気がいる。
たった一歩、踏み出すだけ、だけど。

彼には私という友人が居た。
しかし、世の中にはそういう関係がない人がたくさん居る。
そういう人たちが人格を保って生きていけるような仕事を、私は作っていきたい。


今年最後のブログは、未来に対する思いを書かせていただいた。
情緒的になってしまったかもしれない。許して欲しい。