人間とプログラム
今日の記事は、雑文です。読み流してください。アエラでプログラム言語「Ruby」を開発した「まつもとゆきひろ」さんの記事を読んで、思わずキーボードを叩いています。ちなみに、今から書く内容は、アエラの記事とは全く関係がありません。
今日(2008年10月8日)、JR法隆寺駅での駅立ちの後、剣道の道場と障がい者の受け入れをしている人のところへ久しぶりに挨拶に行きました。久しぶりだったのですが、いつも通り、話が弾みました。
「最近の子どもは、大変なことになっていますよ。スキップができません。」
「最近、学力、学力と世間は言っていますが、それよりも体力が弱っているので、学力も落ちてきているのではないですか」
とおっしゃっていました。
剣道と「型」
挨拶と「型」
挨拶と人間。
そのようなことを話しました。
私は、養老孟司先生の「バカの壁」を読んで、「人間なんてそんなに高等な存在ではない」ということが分かりました。
要するに、人生の質を決めるのは、自分の「考え方」というプログラムをいかに編んでいくのか(プログラムのコードを書いていくのか)ということ。
「考えない若者が増えましたね。」ともおっしゃっていました。
今の時代を生きている人は、考えることの楽しさや、考えることの大切さを実感する機会が少ないからかもしれません。ただ、意識して「考える」だけで、その効果は体感できます。考えることは、自分一人でできる。考える「機会」は、自分一人で持つことができる。単純なことなのですが。
私は、若い人に、「考えればトクをするよ」と言っています。
また、「挨拶するとトクをするよ」と言っています。
あと、「考え方」のプログラムに必要なのは、「感謝」と「気づき」ですかね。
秘書に毎日言っていること。
何事にも「原因」と「結果」がある。
また、何事も「手段」と「目的」の関係にある。
いつもこのコード(ルール)に基づいて、「考える」。
そうすると、いろいろなことが見えてきます。
何事も、所与の条件を疑って考える。
「本当にその所与の条件は、変えられないものか。」
「時代に合わなくなっている条件はないか。」
「目的」とするものをもう一度確認することで、現時点での「手段」としては従来のものでない方がいいこともあります。新しい考え方なんてものは、所詮、このような分析を緻密に積み上げれば生まれてくるものなのではないかと思います。
さて、本題に戻すと、肉体と精神、肉体と学力の話。
私も一時期、太って困りました。
何をやっても痩せない気がしました。
よく「メタボ対策」と言われますが、特定健診で解決できるのだったら、旗振り役の厚生労働省の職員には、一人もメタボはいないはず。
自分たちがやっていることの「方法」が「目的」に合っていないことがなぜ分からないのでしょうか。
特定健診では、結局、「運動しろ」「食事に気をつける」ということを指導されるだけ。しかし、本当に必要なのは、「日々の生活を見直して、いかに運動するか」「いかに食欲に打ち勝って食事方法を変えるか」という具体的な方法=手段です。残念ながら、厚生労働省の職員は、そこまで意識が行っていない。
私なら、ワコールの「クロスウォーカー」を試してみて「日々の生活をできるだけ変えないで運動できないか」と試してみる。朝起きて10分だけ、腹筋と腕立てとスクワットを試してみる。
食事方法については、生理学的な研究をして「かまいけ式」に出会う。要はインシュリンのコントロールをすることで、食欲がコントロールできることが分かる。
具体的な例とすれば、このようなことなのですが、「考え」て試して「結果」がでる。「目的」にかなった「手段」かも検証できる。私には、このような実験のプロセスがとても面白いのです。
そして、その成果は、人に惜しみなく伝える。
伝えられる人にとっては、インパクトが強烈すぎる内容かもしれませんが。
「考える」ことは、生物の中でも人間の特権なのに、あまり活用している人が多くないのが残念です。
ちなみに、最近は、体重が減りすぎているので、夕食だけでなくて昼食も摂っています。但し、昼間の食事なので、できるだけ糖質制限で。今日の昼食は、カラアゲとナッツと1リットルの水分でした。
参議院議員 中村てつじ
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