中村てつじ「日本再構築」ブログ

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なぜ赤字国債を発行するのに特例公債法が必要なのか

財務省の罠』第九章の予定原稿(本文:約4980文字)


平成24年(2012年)秋の臨時国会(第181回国会)においても、予算執行停止が問題になりました。予算を執行するには、財源を確保する必要があり、そのために赤字国債を発行する必要があります。平成24年度は秋になっても赤字国債発行の根拠となる特例公債法案(赤字国債発行法案)が成立していなかったため、野田政権は予算の執行を停止するという強硬手段に出たわけです。

読者の皆様の中には、「そもそも、なぜ、毎年毎年、赤字国債発行法案を審議することが問題になるのだろう」と思っていらっしゃる方も居られるでしょう。本章では、根拠法になっている「財政法4条」について説明を致します。


自公政権時代から、実は、毎年毎年、赤字国債発行法案は成立していました。それは、衆参共に自民党公明党の両党で多数を握っていたため、予算成立と共に特例公債法案(赤字国債発行法案)も成立していたのです。

2007年参議院選挙後、参議院は野党が多数となり、いわゆる「ねじれ」の状態となりましたが、自公で衆議院の3分の2の多数を握っていたため、衆議院の再議決で乗り切っていたわけです。

2009年の政権交代後は、連立3党で衆参共に多数を握っていたので、鳩山政権の時には問題なく特例公債法案は成立しました。


問題は、2010年の参議院選挙で菅直人総理が突然消費税を10%へ増税すると打ち出し、民主党が負けたため、再び参議院で「ねじれ」の状態となりました。今度は、連立与党で衆議院は3分の2の議席を持っていないため、再議決もできず、結局、菅総理は自らの辞任と引き替えに野党に平成23年度の特例公債法案を通してもらうことになりました。

2012年春、昨年度の反省から、民主党参議院国対は予算と一緒に特例公債法案を参議院に送ってくるように衆議院側に言いました。しかし、消費税増税法案の審議を控え、野党との関係を重視した官邸が主導的に動き、結局、与党民主党は秋まで特例公債法案を衆議院から参議院に送らないという手法を採ったわけです。


財政法4条

根拠になっているのは、財政法4条です。法文は、以下の通りになっています。

第四条  国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。2  前項但書の規定により公債を発行し又は借入金をなす場合においては、その償還の計画を国会に提出しなければならない。
3  第一項に規定する公共事業費の範囲については、毎会計年度、国会の議決を経なければならない。

つまり、第4条1項本文が、建設国債以外の公債の発行をきびしく制限しているがゆえに、赤字国債を発行するには、特別の法律を毎年通さなくてはならないということなのです。


それでは、なぜ、財政法4条は、このような規定になっているのでしょうか。財務省のバイブルというべき本があります。長く財務省の中枢にいらっしゃった小村武氏の「予算と財政法」という本です(新日本法規出版、初版昭和62年(1987年)、四訂版平成20年(2008年)、以下「小村本」と略)。内容の専門性・実務性からいって、おそらく、実際には現役の財務官僚が改訂作業にあたっているものと思われますが、著者は小村氏ということになっています。

この4条の趣旨について小村本p.100では「この財政法の健全財政主義の原則は、戦前の軍事費調達のための巨額の公債発行の反省が一つの契機であったともいわれている。」と書いているのみで、なぜ国債を発行することはいけないのかということを踏み込んでは書いていません。

小村本では、「すなわち、財政法四条は、負担の世代間公平という考え方に立って公共事業費等に限って公債発行又は借入れを認めるという形で健全財政の原則を定めたものと解される」と結論づけています。


第十章で深掘りを致しますが(ブログでは11月7日のブログに書いていますが)、財政法が成立した昭和22年と現在では、通貨のルール、国際収支、経済成長による歳出の質的な変化があり、赤字国債を発行する必要が毎年生まれています。それゆえ、本来なら財政法4条を改訂して恒常的に赤字国債を発行するようにしても良さそうなものです。

しかし、財務省は「負担の世代間公平」というスローガンで「公債発行は悪」というプロパガンダをし続けてきたため、自ら財政法4条を改正するという主張をしてこなかったわけです。


そこで、あらためて財政法4条の立法趣旨に立ち返る必要が出てきました。財政法の解説本は、小村本以外にないので、私は、立法当時を振り返る財政史の本に当たることにしました。

それが、「昭和財政史」(大蔵省財政史室編、東洋経済新報社、昭和52年(1977年))という本です。少し長くなりますが、引用を致します。(表記は、なるべく現代表記に直しています。(カナ表記等で原文では大文字になっているものを小文字に、繰り返し記号を繰り返し表現に変換する等。))


「昭和財政史」p.174〜176

ところで、この第四条の立法の趣旨については、とくに昭和四〇年以降における国債発行政策の再開と関連して、さまざまな論議がなされている。そこで、その趣旨については、その立法の原点に帰って当時の立法関係者に語らせることが当をえたものといえよう。少し長くなるが、その部分を引用してみよう。

公共事業費、出資金、貸付金の財源以外には公債、借入金を出してはならないという規定であります。主計局のなかでこれを立案いたしますときにいろいろな議論をいたしたものの一つであったわけでありますが、御承知のように一九三〇年代の後半におきまして、北欧スエーデンだとか、ノールウエーという国におきましては、複予算といいますか、ダブル・バジエツト、御承知のように中立貨幣論というような考え方がありまして、

景気の消長というものを財政をもって調整して行く。非常に好況のときには政府がどんどん金を吸い上げて、金をためておいて、不況なときにはたまった金を出して行って、不況を緩和する、こういう一つの貨幣政策、貨幣理論から来る財政政策の考え方があるわけですが、

そういう複予算といいますか、ダブル・バジエツトというものがありまして、経常予算と資本支出との二つのものを置いて、資本支出を調整する。それを大きくしたり、小さくしたり、その財源を公債に求めたり、あるいは一般会計から繰入れたりするという形で、景気の消長を、政府の資本投資というものの動かし方で調整して行くという考え方、この考え方は積極面であります。


この四条を入れましたときには、そういうような積極面から財政政策というものが、一つの景気政策的な動かし方をして行くのだという考え方に対しまして、もう一つは、当時も非常に強い議論であつたのでありますが、戦時中の公債政策というのはいかぬじやないか、この際、財政を通ずる根本の立て方をするときには、赤字公債を出さないということを明らかにしようじやないかというような両方の議論を取入れまして――

これは今申上げたダブル・バジエツトのような積極的な意味における表現になつておりませんが、これは両方に動き得るということを考えまして、この条文がつくってあるわけであります。

この条文をつくりまして以後、インフレーション、あるいはその後の安定経済という時期におきましては、まだこの条文のところまでは行っていないわけでありますが、ぼつぼつこの条文を活用するような議論が出かかって来ているわけであります。

右の口述のなかから、われわれはこの公債・借入金の制限の立法趣旨を次のように読みとることができよう。すなわち、この規定はなによりも「満州事変」以降のわが国財政への強い反省の意味がこめられている。

とくに戦争の拡大にともなって戦費のための財政の赤字を補填するために、公債が濫発された。これは、結果として、日本財政、延いて日本経済にとって大きな危機的状況をもたらすことになったのである。

破局的な敗戦を経験し、平和主義のもとに、戦後の再建を決意した日本国民にとって、右のような戦争財政の苦い経験にかんがみ、公債発行の歯止めを「財政法」のなかにもとめたのは、その時代の潮流からみて当然のことであったといえよう。「財政法」の規定もまた、「時代の子」ではあることを免れえない。


しかし、ここでとくに注目しなければならないのは、立法者は、このような戦争財政への反省という時代精神に強く影響されながらも、決してそれのみをかたくなに守ったわけではなく、他方では、現代における新しい公債政策の展開にたいしても決して無関心ではなかったことは、当年の予算改革の動向にも注意を払い、スウェーデンの事例についても研究していたという点である。

第四条は、このように、一方では、戦争財政への反省からくる健全財政への志向、他方では当年における公債政策の新展開への配慮という二つの観点を組み合わせながらも、前者に重心をかけた内容として立法化されたものといえよう。


なお、第一節でもふれたように、これらの立法の多くは日本側の創意によるものであったが、第四条第二項の償還計画の提出の規定については、司令部からの指示があったとされ ている。


「昭和財政史」から何を読み取るか

以上の「昭和財政史」の記述から、皆様はどんなことを読み取りになられるでしょうか。この「昭和財政史」は、小村本の初版が出た1987年から遡ること10年の1977年に出版されています。

この部分の執筆を担当されたのは、法政大学教授の高橋誠氏です。また、引用された口述は、財政法案の立案に関与した石原周男(かねお)氏(当時の大蔵省主計局法規課長)のものです。


高橋氏は、石原氏の口述を引き、明確に「第四条は、このように、一方では、戦争財政への反省からくる健全財政への志向、他方では当年における公債政策の新展開への配慮という二つの観点を組み合わせながらも、前者に重心をかけた内容として立法化されたものといえよう。」と述べていらっしゃいます。


つまり、財政法4条が、小村本の言うように「すなわち、財政法四条は、負担の世代間公平という考え方に立って公共事業費等に限って公債発行又は借入れを認めるという形で健全財政の原則を定めたものと解される」という趣旨だけでなく、石原氏の口述にあるように「景気の消長を、政府の資本投資というものの動かし方で調整して行くという考え方」「積極面から財政政策というものが、一つの景気政策的な動かし方をして行くのだという考え方」も取り入れた趣旨であったということです。

既に「昭和財政史」が刊行されて35年、小村本初版が刊行されて25年が経ちます。この間に、大蔵省(2001年の省庁再編で「財務省」と名称変更)内部で、どのような議論がなされてきたのでしょうか。


私は、今一度、この財政法4条の規定を改正するべきか否かというきちんとした議論をすべきだと考えます。

財政法が成立した昭和22年から65年も月日が流れました。次章(注:ブログ11月7日で既述 http://bit.ly/VCfARZ )で述べるように、その65年の間に、世界の通貨ルールも変わり、また、経済成長を果たした日本にとって経済構造がハード中心からソフト中心に変わりました。「公共事業」だけが公債を発行してまかなうべきものだとは言えなくなったわけです。


現実問題としては、財政法4条の改正はなかなか難しいと思います。参議院で「ねじれ」の構造ができた場合には、野党にしてみると財政法4条は「予算についての拒否権」とも言える効果を持つ規定だからです。

しかし、野田佳彦政権のように、国民生活に重大な影響を持つにも関わらず、「予算の執行停止」という強硬手段を使って、特例公債法案が成立しないのは野党のせいであると、国民生活を人質にとって脅すやり方を政府与党が採れば「予算についての拒否権」と言える効果はもはやなくなります。

財政法4条を改正する過程としては、次章で述べるようなことをきちんと議論した上で改正するという過程を経るべきで、安易な改正は慎むべきだと思いますが、もうそろそろ65年前の呪縛から解き放たれるべき時ではないでしょうか。