後輩の開業と学生時代の私


先日、大学の後輩が弁護士事務所を開業したというので、大阪にお祝いに行きました。一緒に、司法試験の勉強をし、また、今でも慕ってくれている後輩が新しい道に足を踏み出したのは、とても嬉しいことでした。


少し、自分の学生のころを思い出しました。

京大法学部の中庭のベンチに座りながら、「こんな自分でも、生きていていいのだろうか」と思っていた日々。約10年近く前、25〜27歳ぐらいのころでしょうか。サクラの花が満開に咲き、散っていく姿を見ながら、毎日、進まない勉強に悶々としていました。


最近、私のことをよく知る人から、「大学8年行っていたこと、ブログに書かないの?」と言われて、「そういえば書いていなかったかも知れない」と思いました。私自身は、自分がいわゆる「高学歴(?)ニート」であったことを隠していないのですが、確かに、サイトにはあらためて文章にしていなかったかも知れません。

まあ、あまり胸を張れることでもありませんが、あらためて自分自身のことについて書いておこうと思うようになりました。

何回かに分けて書くことになると思いますが、お付き合いください。


私が、弁護士をめざそうと思ったのは、12歳のころだったと思います。良くしゃべり、何でも大人に食ってかかっていた私に、「将来は弁護士やな」と大人は無責任に言っていました。

今の時代では、若い政治家が出てきているので、子どものなりたい職業として政治家ということもあり得るのかも知れませんが、当時は、「国会議員になるには何億円もかかる」と言われていた時代でした。自分にとっては、はじめから選択肢にはありませんでした。

それよりも、自分ひとりの力で困っている人の力になれる弁護士という仕事にあこがれを持ったのでした。


弁護士になるためには、どの大学に行けばいいのか。また、そのためには、どの高校・中学校に行けばいいのか。

新聞を見れば、司法試験の現役合格者数が出てきます。実は、国立大学の場合には、留年をして受験をしているので現役合格率が高いだけなのですが、東大と京大が現役合格率が高かった。私の家はあまり裕福でなかったので、自分としては自宅から通える京大しかないという判断をしました。

そこで、京大に行きやすい学校として、東大寺学園を受験したのでした。


・・・15年思い続けて、結局、家庭の事情もあって27歳で諦めた司法試験の受験でしたが、挑戦したこと自体は今も後悔していません。

結果として、「乾いた雑巾をさらに絞る」ような気持ちにまで追い込まれ、自分が生きていても意味のない存在なのではないかと思い詰めました。

でも、そのおかげで、「頑張っても報われない人」「頑張りたくても頑張れない人」のしんどい気持ちは、当事者の一人として良く分かるようになりました。

もし、あのまま成功していたら、「自分の力で成功はできるものだ」と考える人間のままだったでしょう。「うまくいっていない人は、努力が足りないだけだ」と思っていたでしょう。おそらく、将来、自分では乗り越えられない大きな躓きを経験したかも知れません。


この1年間も、衆議院選挙に落選したり、大切な伴侶を失ったりと、大変な経験をしました。でも、あのときから順に大変な経験をさせていただいているので、何とかギリギリ乗り越えられてここまでくることができたと思うのです。

「神は乗り越えられない試練を与えない」と言われます。

決して輝かしい人生ではありませんが、だからこそ、地味ながらも国政に携わらせていただけたのかな、とも思います。


こういう話を直にすると、「印象が変わった」と言ってくださる方が多いです。
ありがたいことなのか、悲しいことなのか・・・。