なぜマネーストックの上限が法定準備率で決まると考えているのだろう?

なぜ多くの経済学者はマネーストックの上限が法定準備率で決まっていると考えているのだろうか… という疑問が尽きませんでした。今日は、出張で東京に居るのですが、ふと空港に向かうバスの中で気づきました。今日は、そのことを記事にしたいと思います。

先日のブログにも書いたように、多くの経済学者は、

銀行が日本銀行に預けている日銀当座預金の額が先ず決まり
→それに法定準備率(の逆数)をかけて(法定準備率で割って)
マネーストックの上限が決まる=信用創造の制限になっている

という考え方をしています。

しかし、実際には、

融資など銀行が行う「預金設定」の結果、マネーストックの額が決まる
→それに法定準備率をかけて
→日銀当預預金(の最低額)が決まる

という流れで日銀当座預金の額が決まります。

そのため、日銀当座預金を人為的に増やしてもマネーストックが連動して自動的に増えるということはなく、必要以上の当座預金が日銀当座預金口座に積み上がるという、いわゆる「ブタ積み」という現象が生じます。(マネーストックの量は、貸し出しか、国債の発行+政府支出増でしか増えませんのでね。)

それでは、銀行が自行の設定している預金総額では、日銀に預けている当座預金の額が不足するような場合にはどうするのか、というと

1.まずは短期無担保市場で日銀当座預金を他の銀行から借りる
2.手持ちの日銀当座預金を増やしたい場合には、持っている日本国債を市場で売って日銀当座預金を増やす(他の銀行から国債の代金を日銀当座預金口座に振り込んでもらう)

という方法で各銀行は法定準備率に見合う日銀当座預金を確保します。

つまり、財務状況が普通であれば他の銀行が融通してくれますし、融通してくれた金額がある程度まとまったら国債を売って返せばいいのです。

そうか、と思ったのは、

昔は、金本位制だったので、元金になるのが金(ゴールド)であり、今のように簡単には元金を調達することができなかったという事実

に気づいたからでした。

戦後もブレトンウッズ体制の下で、各国通貨とドルとのレートは固定化され、ドルは金と交換可能でした。アメリカの中央銀行保有する金(ゴールド)の量によりドルのマネーストックの上限は規定されているような状況だったと思われます。

そのため、レートが固定されている各国の通貨も、間接的にアメリカが保有する金(ゴールド)の量によって制約を受けるという理論を経済学者の皆さんが採用されたのは理解できるような気もします。

まあ、経済成長や貿易収支が各国によって違いますし、その数字も毎年変わります。そのような中で金(ゴールド)を中心に通貨のレートを固定するということがそもそも無理な話だったということです。そこで、1971年のニクソンショックに繋がったわけです。

ニクソンショックの後は、完全に通貨の価値と金(ゴールド)の保有量は切り離されましたので、通貨の流通量のコントロール中央銀行当座預金とその国の通貨建ての国債で行われることになりました。

だから、今の時代は、かつての金(ゴールド)の保有量で制約を受ける時代とは違う理論構成が必要になったのだと思います。

ちなみに今も必要以上の日銀当座預金が積み上がっていますが、これは、法定準備率によって義務づけられている日銀当座預金の額を超えるもの(これを超過準備と言います)には基本的に0.1%の金利が付いているからです。

この部分の日銀当座預金を使って国債を買っても、国債金利の方が安いので損をしてしまいます。だから、日銀当座預金口座に積まれたままになっているのです。

順を追って理解すれば簡単な話なのですが、なかなか広まらないですね。